青山ベルコモンズ前の
青い看板が目印です。
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銀座線『表参道駅』徒歩5分
銀座線『外苑前駅』徒歩2分
東京都港区南青山2-27-22
青山安田ビル2.7.8階 Map |
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【地名の由来】
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「青山」とはどこから地名が付いたのでしょうか?
西暦1591年 天正19年 徳川家康 の譜代の重臣の青山忠成が原宿村を中心に、赤坂の一部から上渋谷村にかけて屋敷地として拝領しました。
当時は武家の敷地に町村名を付けることが許されなかった為、明治時代の初めまで正式な名称ではありませんでしたが、庶民の間で便宜上「青山」と呼ばれていました。
後にこの青山家の屋敷があった跡はその大部分が青山墓地に形を変えました。 明治以後「青山通り」の北側を青山北町、南側を青山南町と呼ぶようになり現在の北青山、南青山という地名になっています。
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【青山通り】
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現在の「青山通り」(国道246号線)も最初からその名前が付いていたわけではありません。
江戸時代には厚木街道と呼ばれており、五街道に次ぐ重要な街道とされていたようです。 明治時代に入り急速な交通機関の発達により大幅な道路改正計画が公示されましたが、日清戦争の為実現しませんでした。
一方で明治37年には三宅坂から青山4丁目まで路面電車が開通し、人々の足として青山を駆け抜けていました。
現在青山を通る路線はどれも地下鉄ですがその中で最も古くから通っているのが銀座線です。昭和13年にはまず表参道〜渋谷間で運行が始まり、続いて表参道〜虎ノ門間が開通する運びとなりました。翌14年には全線が開通しました。
太平洋戦争によって青山の街は焼け野原と化しましたが、その後様々な形で復興を目指し、そのターニングポイントとなったのが昭和39年の東京オリンピックです。
国立競技場をメイン会場とするオリンピック開催の為大幅な大幅な道路拡張工事が続き「青山通り」は22メートル幅から一気に40メートル幅の道路に整備されました。
昭和43年には約70年間親しまれてきた路面電車が姿を消しました。 |
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【ファッションの街】
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現在の青山には無数のショップが立ち並びそれが街の個性を発揮していますが、中でも洋服店と美容院の数には驚きます。
また個性的なギャラリーが多く、街全体を1つのスペースとして作品を出展していく前衛的な試みは青山ならではです。
一方、高級外車の 数も日本一です。超高級イタリア車から一般車化してきたベンツに始まり、クラシックカーまで様々な個性的な車が走っています。
時代と共に変化はあるものの、ファッションの街という印象は根強いです。青山=ファッションといっても言い過ぎではありません。 1963年VANのオープン以来70年代のNICOLやBIGI、80年代のコムデギャルソン、ヨージヤマモトなど時代を代表するブティックが青山にそろったことでもその印象が植え付けられたようです。
表参道交差点から根津美術館に抜ける「幸(みゆき)通り」には有名ブティックから高級インポートブランドのショップが入った複合ファッションビルがズラリと並び青山のファッションバトルをリードしています。また骨董店が軒を連ねることからその名の付いた「骨董通り」(正式名称は高樹町通り)も現在ではファッションストリートと化しています。
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【人口は?】
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地下鉄の1日の平均乗降客数は 「青山一丁目」は約63,000人、「外苑前」は約70,000人、「表参道」は約130,000人です。
世帯数は2004年11月1日港区世帯人口調査票のよると
「南青山1丁目」 は 1,134世帯 2,362人、
「南青山2丁目」 は 897世帯 1,762人、
「南青山3丁目」 は 875世帯 1,721人、
「南青山4丁目」 は 1,381世帯 2,716人、
「南青山5丁目」 は 895世帯 1,941人、
「南青山6丁目」 は 762世帯 1,521人、
「南青山7丁目」 は 720世帯 1,558人、
「北青山1丁目」 は 340世帯 684人、
「北青山2丁目」 は 300世帯 569人、
「北青山3丁目」 は 1,293世帯 2,415人 です。
1983年の調査以来人口数はだんだん減少しています。 地下鉄の乗降客数が伸びて反対に人口が減っていることは青山が「住む街」よりも「働く街」
や「訪れる街」 になってきたということでしょうか?それともバブル崩壊で仕方なく離れられたのでしょうか? |
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【街のイメージは?】
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雑誌やテレビ等で「お洒落な大人の街」や「ファッション情報発信地」として紹介されます。
またアパレル系のショップやオープンテラスのカフェがいたる所にあり、映画やドラマの撮影は日常茶飯事で、外国人モデルや著名人、芸能人などによく遭遇するそんな街でもあります。
一方、青山は世界の超一流企業や日本のトップ企業も混在するビジネスの街の面もあります。最近のIT関連の急成長企業や外資系金融企業も青山で育っています。
カジュアルな格好、スーツにアタッシュケース、カフェでモバイルなど、どんなスタイルでも良くマッチします。
でも一歩裏道に入ると普通の住居等も意外に多く、都内でも有数の緑地帯で、池や川などもありメダカもいます。昔ながらの井戸もいまだにあります。
お寺や寺院も結構多く、史跡や歴史的に重要な興味深いものもたくさんあります。
青山は想像を超えた色んな表情を持ち、老若男女誰が来ても飽きない街です。
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【青山同潤会アパート】
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70年以上にわたって表参道を見つめ続けた青山同潤会アパートともまもなくお別れです。
1927年(昭和2年)に建てられ、戦火にも耐え、数々の歴史を刻んできた建造物も老朽化には勝てず、近く建替えが決まりました。
表参道を訪れた時「この古い建物は何?」と思った人は多いと思います。華やかな街の中にあって対照的な建物でありながら、ギャラリーやショップなどの商業施設も、レトロな雰囲気を損なわないように改装して街の景色にシンクロしているのには感心します。
「 同潤会」は76年前の1924年(大正13年)に起きた関東大震災で寄せられた義援金を基に内務省の外郭団体として設立されました。
青山アパートはヨーロッパの集合住宅を参考に設計され、電気、ガス、水洗トイレ、ダストシュート、各階段の上に共同浴場など当時としては画期的な設備を完備し、鉄筋コンクリート造のモダンな住宅は憧れの的で、各界の著名人も多く住んでいました。
現在では全十棟138室の内、住居として使われているのが20室で、他はすべて商業的利用になっています。
この建替えの取り組みが始まったのは1968年(昭和43年)です。終戦後に東京都の管理下の建物だけが払い下げられ、土地は東京都が所有する借地権付区分所有マンションであった為、東京都の土地払い下げの問題が大きな課題でありました。
また建替えには事実上全員の賛成が必要になる為、各所有者の承諾を得るのに30年以上の月日を要しました。
現在はご存知の表参道ヒルズにすっかり姿を変えております。
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